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一駅一事業軍畑駅のコースを作成しました!

記事ID:0058969 更新日:2022年8月19日更新 印刷画面表示 <外部リンク>

軍畑駅編

"三田氏"をテーマに観光ルートを作成しました!

軍畑駅からめぐるモデルコース

総距離数:7,2km  要時間約122分 ※昼休憩1時間、登山時の各所休憩除く

(1)軍畑駅→(2)鎧塚→(3)榎峠口→(4)雷電山→(5)辛垣城跡→(6)名郷峠→(7)桝形山城跡→(8)らびっと→(9)二俣尾駅

軍畑駅<外部リンク>

 1929年青梅電気鉄道の軍畑停留場として開業。青梅駅~奥多摩駅間の駅の一つで、現在「東京アドベンチャーライン」の愛称で親しまれている。三田氏、後北条氏との主戦場の地(戦の場)から軍畑(いくさばた)と名がついたとされており、JR青梅線の難読駅名の一つとして紹介されている。

軍畑駅

鎧塚<外部リンク>

 辛垣城の戦いの後に築かれたと伝えられた墳。この地方を治めていた三田氏と後北条氏との一戦の際に兵士の武具等を埋めたとも言われている。鎧塚の頂部には祠(鎧塚大明神)が祀られており、塚に埋葬された死者の霊を祀っている。

※民有地のため中に立ち入ることはできません。

鎧塚前鎧塚看板

榎峠口<外部リンク>

 雷電山・辛垣城跡への出入口、ならびに青梅丘陵ハイキングコースの出入口となっている。青梅駅までハイキングコースが続いており、長距離メインの方おすすめのコースとなっている。

榎峠口

雷電山<外部リンク>

 雷電山の名称は、青梅一帯も日照りの影響により作物が枯れてしまう干害に見舞われていたことに由来し、山上で雨乞いの祈祷を行なったことが起源とされる。雷電山の標高は494mと高く、現在ではハイキングコースの経由・登頂地点として多くの方に利用されている。また、大正~昭和時代にかけて石灰石や砂利の採掘場として利用され、専用の側線と索道を使用し二俣尾駅まで搬入していたとされる。

雷電山山頂

辛垣城跡<外部リンク>

 辛垣山とは、二俣尾駅の北にそびえる450mの山である。その辛垣山に残る城跡というのが、三田氏の山城(辛垣城)で堀切や腰郭が残る。三田氏の勝沼城に対し、西に位置していたことから西城とも呼ばれ三田氏の終焉の地とされる。大正~昭和時代にかけて石灰石の採掘が行われ、現在も数か所に採掘跡が残る。

辛垣城辛垣城看板

名郷峠<外部リンク>

 青梅丘陵ハイキングコースと二俣尾駅に下りるコースの二手に分かれる、いわば中継地点。二俣尾駅ルートの間に桝形山城跡に続く道があるが、道幅が狭く傾斜があり足元が悪いため、注意が必要となる。

※桝形山城跡へお越しの方は、安全に配慮して最低二人一組での行動をお願いします。

名郷峠

桝形山城跡<外部リンク>

 桝形山(通称:山ノ神)とは、標高494mの雷電山から続く支尾根上に位置する山で、桝形山城跡が残る。また、三田氏の城跡である辛垣城と直線距離にして500mと近く、三田氏との関係深い城跡とも言われている。現在でも二重の空堀と土塁などが残っており、敵襲に備えていたことがわかる。

桝形山入口桝形山

らびっと<外部リンク>

 青梅線二俣尾駅から徒歩7分。青梅市の中でも有数の山小屋風木造カフェ"らびっと"。温かい空間でひと時を過ごし、癒しを求めることができる極上空間。余暇の際は、是非お立ち寄りいただきたい。

らびっと看板らびっと食

海禅寺<外部リンク>

 1460~66年に開山。この地方の豪族、三田氏の厚い保護を受けたが、1561年辛垣城陥落の際の兵火で焼失したと伝えられる。その後、焼失と再建を繰り返したが、現在、境内地は東京都指定史跡になっている。本堂の左手には、三田氏の供養塔である4基の宝篋印塔が11基の五輪塔と共に並んでいる。前庭には、市指定天然記念物の市内最大級のクスノキ3本がある。

海禅寺海禅寺看板

二俣尾駅<外部リンク>

 1920年青梅鉄道日向和田駅と同時に開業され、旅客・貨物車として運行開始。主に、雷電山から採掘された石灰石を運搬するために使用された。現在、吉川英治記念館ならびに青梅丘陵ハイキングコース途中の入口の最寄り駅でもある。

二俣尾駅

【参考文献】

『青梅を歩く本』(1994)

『青梅文化財さんぽ』(2019)

『ふるさとの文化財』(2017)

 

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