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ミヒャエル・トーネット
ボッパルトゆかりの人物(ミヒャエル・トーネット)
ミヒャエル・トーネット
曲木椅子職人として有名なトーネットはボッパルト市の出身です。1796年7月2日、ボッパルトのなめし皮業者の息子として生まれました。指し物師(板を組み合わせて机・たんす・障子・箱などの器具類を作る職業)の修行を終えたトーネットは、23歳のとき家具職人として工房を設立し独立しました。1830年、曲木の製法を開発し、成形合板の原形といえる積層材による椅子を発表しました。
コブレンツ市の展示会に椅子を出品した時、コブレンツの領主メッテルニヒ侯は、背もたれが美しくカーブした椅子に大変驚き、トーネットをウィーンに招待しました。そして、1843年にウイーンに家族と移り住み、トーネット社の工場を設立しました。トーネットの技術は高く評価され、リヒテンシュタイン宮殿の寄木細工の床板と椅子を創りました。
1851年、ロンドンのクリスタルパレスで開かれた第1回万国博で、曲木椅子が絶賛されると、3年後の1854年のミュンヘン博では金賞を受賞しました。その間、5人の息子たちは「トーネット・ブラザーズ」を設立しました。
1855年パリ万博に出品し、銀賞を受賞すると曲木椅子が世界各国に普及し始めました。この年、トーネットの代表作となるNo.14※の初期モデルがつくられました。1859年の発表までに数々のモデルがつくられ、1893年まで1500万脚が生産されました。トーネットは1856年に曲木椅子の特許を取得しました。
ロンドンの国際博覧会やパリ万博に出品し、次々と金賞を受賞しました。そして、ウイーン椅子がデザインされた1871年、この年の3月3日に子どもたちに見守られながら、75歳の生涯を閉じました。
トーネットの死後、ライバル社であったヤコブ・アンドヨーゼフ・コーン社と合併し、現在は、トーネットの孫の経営のもとで300人におよぶ従業員が、曲木の伝統を継承しています。
No.14のイス(1995年10月に姉妹都市提携30周年を記念して寄贈。)
No.15のイス(2005年10月に姉妹都市提携40周年を記念して寄贈。)