本文
校章・校歌

校章は、日本芸術院会員で日展顧問の著名な日本画家・森田沙伊氏によるものです。
常勤講師の浅井徳正氏が画伯と旧知の仲であった縁で、作成を依頼しました。
デザインは、法隆寺献納宝物「海磯鏡」の構図をもとにしています。
作詞 岩津資雄
作曲 田中 準
秩父山脈 ひがしに展け
朝日たださす 成木の里に
あふぐ希望の 碑文は昴く
負へるわれらが 使命は重し
なりき なりき われらが成木
母なる大地 山ふところに
生ひ立つ杉の 心も直ぐに
にほふすみれの 身も虔しく
享けて幸ある いのちを思へ
なりき なりき われらが成木木
春秋 三とせ 成木の川に
山みづ きよく 日々新しく
みがく真理の 玉かがやかに
吾らが母校の名をば讃へん
なりき なりき われらが成木
七中校歌の作詞者は、早稲田大学名誉教授・文学博士であり、当時は国文学教授であった岩津資雄氏です。
岩津氏が校歌を作詞することになったのは、恩師である五十嵐力博士が太平洋戦争末期から成木に疎開していた縁によるものです。
五十嵐博士は成木小学校の校庭に建立された「希望の碑」の撰文と揮毫を担当しましたが、碑の完成を待たずして亡くなりました。
恩師との縁から下成木を何度も訪れていた岩津氏ですが、校歌作詞の依頼を受け、上成木にも足を運びました。
「校庭に続いた丘陵には杉の木立が多く、まだ簫条とした冬山の眺めであった。しかし日だまりの草むらには、青草がボツボツ芽を吹いていた。『今に辺り一面、すみれやたんぽぽの群落がみられる』と教えられたが、いかにも辺りは山ふところといった感じの環境だった。(中略)都塵を離れた素朴な自然環境に恵まれた成木の少年少女たちが『希望の碑』の掲げる高遠の希望を胸に、日日新しく学びの道を往く、そのすがすがやかな自然と知的な精神力を歌い上げてみたかったのである。今にして思えば、こうしてものへのあこがれは、戦後の荒廃と虚脱からあがろうとしていた、われわれ自身の心でもあった。」
(創立30周年記念誌『成樹三十年』の岩津資雄氏による寄稿文「校歌の思い出」より)