校名の由来

 

昭和49年4月に霞大地の一角に 本校 が誕生しました。立地した土地にちなんで「霞台中学校」と命名され、現在に至っております。青梅市は昭和26年、青梅町、霞村、調布村の3町村が合併して市制をしき、さらに、昭和30年、吉野村など4村が合併してできました。
本校の西の方に目を向けると、遠く大岳山をはじめ、奥多摩の山々が 連なり 、その手前にゆるやかに起伏した山なみがいくつか見えます。一番手前右側 は 加治丘陵 (霞丘陵ともいう)で、その南麓を霞川が流れ、根が布、師岡、野上、大門、今寺、藤橋、今井の集落が散在しています。これが旧霞村です。
JR 青梅線の電車が走っているところは、周囲の地域より一段と高く、霞大地です。「空より広き武蔵野の原」と歌われた武蔵野の西端で、羽村市や埼玉県の入間市などに続いて、我が国最大の関東平野にのぞんでいます。昔は、どんな晴れた日でも遠くかすんでおり、ある時は、その霞の上に筑波山が静かな姿を見せていることもあったそうです。