本文
サイパン市は、アメリカ合衆国自治領北マリアナ諸島自治連邦区に属し、成田国際空港から約3時間30分、青梅からおおよそ南の方向の約2,300キロのところに位置している、時差1時間の都市です。
サイパン島は、日本との歴史的な関わりが深い地域で、第一次世界大戦中に日本の委任統治領となり、第二次世界大戦においては、日本軍とアメリカ軍などとの激しい戦闘区域にもなりました。現在も島内のいたるところに戦争当時の名残があります。
サイパン市は、千葉県香取市および北海道登別市と交流に関する協定を締結しており、いずれも青少年同士の交流を行っています。
*サイパン市とのこれまでの経過については、こちらのページをご覧ください。
サイパン市の文化、教育、治安など、現地の視察や関係者から聞き取り等を行い、その内容を今後の都市間交流に向けた検討に活かすことを目的とし、今回の視察を実施しました。
サイパン市役所国際交流担当に視察時の行程作成、案内をしていただきました。
令和7(2025)年7月4日〜7月6日(3泊5日)
視察者:秘書広報課長および同課都市交流係長
毎年、アメリカ合衆国の独立記念日にあたる7月4日は、解放記念日(Liberation Day)として盛大なフェスティバルとパレードが開催されています。
サイパン市、テニアン市、ロタ市の各市長や北マリアナ諸島知事、北マリアナ連邦議会議長のほか、アメリカ軍幹部が列席されていました。パレードには50団体が参加しており、踊りなどのパフォーマンスが披露されました。大変な盛り上がりでした。参加者から、サイパンには多様な民族の方々がそれぞれを認め合い、生活していることを知ることができました。
なお、今回の視察日程については、サイパン市から解放記念日に合わせて来ることの提案を受け、決定しました。
(写真はサイパン市長、北マリアナ諸島連邦議会エドモンド・ビジャゴメス議長、パレードの様子)

フェスティバルでは、多くの販売ブースが立ち並び、サイパン料理や民芸品の販売など、サイパン市民の雰囲気を感じながら見学することができました。
生花を使用して、民芸品であるブレスレットや髪飾りを作るワークショップも開催されていたので職員も体験しました。現地の方に優しく教えてもらいながら、地域の文化に触れることができました。

サイパン島にある、第2次世界大戦における戦跡や、多くの方が訪れる景勝地の案内を受けました。
北マリアナ諸島サイパン島最北端の断崖絶壁を見学しました。第二次世界大戦中、追い詰められた日本兵や民間人が「万歳」と叫びながら身を投げたことから、「バンザイ・クリフ」と呼ばれ、現在は多くの慰霊碑が建立されていました。戦没者の慰霊と平和を祈る場所となっていると説明を受けました。

当時、サイパンにおいてサトウキビ栽培に従事していた労働者は、沖縄からの移住者が多く、多くの方が戦火に巻き込まれ命を落としました。沖縄が米軍統治下にあった1968年に、琉球政府が建てた慰霊碑に立ち寄ることができました。

スーサイドクリフは、マッピ山の北面の崖を指します。崖を見上げる形で、日本政府建立の中部太平洋戦没者の碑をはじめとする多くの慰霊碑が建立されています。日本政府の負担により定期的な清掃や除草が行われていることを知りました。
戦争当時の監視所跡をに立ち入ることができました。自然の岩場と一体化して作られていました。大砲が打ち込まれた跡がいくつもありましたが、現在も崩れることなく残っており、当時の建設技術の高さを知ることができました。

石灰岩の島は、表面に多数の穴があり、その穴が鳥たちの棲みかになっていて、多くの鳥たちがいることから、バードアイランドと名前がつきましたが、地球温暖化の影響で今は鳥がいなくなってしまったと話を伺いました。松の木があり、海沿いに松が植えられているのは、日本に似ていると感じました。
利用者駐車場でもあるグロット展望台から100段の階段を下ると、崖下に海中洞窟が現れました。
サイパン版の「青の洞窟」とも呼ばれ、サイパンを代表する観光スポットだということで、視察に行った日も多くの方がダイビングやシュノーケリングを楽しんでいました。
穏やかで波がとても小さい海では、子ども達も安心して遊んでいました。透明度の高い、大変美しい海に囲まれていることを知りました。
週末になると、ビーチのそばにある公園で家族や親戚などが集まり、バーベキューをすることが好まれており、視察の際にもバーベキューを楽しんでいるグループを、多く見かけました。

初日に引き続き戦跡を訪れたほか、景勝地でありながら地球温暖化の影響を感じることができるマニャガハ島、地元の青少年で構成する阿波おどりチームなどを訪れました。
サイパン島から船で約15分ほどの海に浮かぶ島で、周囲は約1.5kmの大きさがあり、20分程で島を一周することができました。
白浜とエメラルドグリーンの美しい海が広がる無人島ですが、地球温暖化の影響による海面の上昇のため、海岸が侵食されていました。
地球温暖化による、島の海岸侵食の影響を受けている様子に愕然としました。ここを訪れた方は、地球環境への取り組みについて、改めて考えるきっかけになると感じました。
昭和6(1931)年に現在の場所に社殿が竣工されたが、太平洋戦争の戦火で昭和19(1944)年に日本の香取神社連合会などの手により再建され、現在の社になりました。
年に1回、千葉県香取市の方々が訪れているとのことです。

日本統治時代に「彩帆(サイパン)公園」と呼ばれていた場所は、現在シュガーキングパークとなっており、サイパン島でのサトウキビ栽培と製糖業に貢献し砂糖王と呼ばれていた松江春次氏の像やサトウキビの運搬に使用していた蒸気機関車が展示されています。

サイパン阿波おどりチームは、小学生から20歳前後の青少年35人(視察時点)で構成されており、「彩帆連(さいぱんれん)」と名乗っています。
現地でレストランを経営している日本人の方がチームの指導をしており、メンバーはとても真剣に練習していました。練習見学後に彩帆連の方々と交流することができました。

日本の委任統治領となっていた時代(1920年〜1945年)の、病院や刑務所跡が現存していました。
山頂に展望台があり、サイパン島の全景が360度見渡すことができました。両手を広げた形のキリスト像が立っており、現地の方々の宗教行事が行われる場所だと話を聞きました。
また、アメリカ軍がサイパン島に侵攻した際の戦闘に関するパネルが展示されていました。

サイパンでの激闘やその後の戦争の行方など、英語と日本語で展示されていました。館内にはシアターもあり、映像も日本語字幕となっていました。
戦争の歴史を学びつつ、平和の大切さを考えさせられる場所であると感じました。

「オレアイスポーツコンプレックス(総合運動場)」には、陸上の400mトラックや天然芝のサッカー場、野球場、ソフトボール場があり、ナイターにも対応しているほか、体育館も設置されていました。応援席や配信用の部屋を備えており、充実していると感じました。
他に、スケートボードなどで遊べる公園や、民間設置のサッカー場もありました。

オレアイスポーツコンプレックス(総合運動場)には、バスケットボールや体操を行う体育館も隣接していました。
サイパンの主食はお米でしたが、お茶碗ではなく平皿に形を作って盛ってありました。
日本のソース味とは少し違いますが、焼きそばもありました。
視察期間を通じての食事は、日本人好みで食べやすいい味付けであると感じました。

今回の視察で、島全体の雰囲気は明るく穏やかで、かつ環境問題や平和のことを学ぶことができる場所であると感じました。
サイパン市の年間の平均気温が27℃、平均水温(海)が25℃と1年を通じて安定していることもあり、季節を限定せずに渡航できることは利点であると思いました。
また、日本との時差が1時間ということで、オンラインでの交流も両市の環境が整えば開催できることもメリットになりえます。
現地に滞在したのは3日間ではありますが、危険を感じず、安心して視察に出歩くことや、市街地やスーパーにおいて買い物等ができました。
今回の視察で得た情報も活かして、今後の交流に向けて検討を続けていきます。